周りの目、と言う自分の目

人生観

学生時代、私は人一倍、周囲の目というものを気にして生きてきたなあと感じます。
周囲というのは親や先生、友人という日常的に接する人たちです。
もしそのコミュニティ内で悪いことや悪い評判が立ちそうなことをすると、自分の評価が下がって生きづらくなると思っていました。
今思い起こせば、それは半分正解で、半分不正解だったなと思います。
周囲の目を気にするというのは、人間の進化の一つだと思います。
特に日本人の場合、稲作で共同生活をしてきましたし、言語も宗教も大体同じ、島国から逃げても行き先が無かったりします。
そのためコミュニティから外される村八分とは、即ち死と同義であった訳です。
日本人の子供が悪いことをすると、家の外や廊下に立たされるのもそうでしょう。
コミュニティから一時的に閉ざされることが罰になっているのです。
例えばアメリカの家庭では、子供が悪いことをすると部屋に暫く閉じ込められるそうです。
外に出させてもらえない(自由が無い)ことが罰になっているのです。流石自由の国という印象です。

ただまあ、現代の日本において、そこまで周囲の目を気にするということは必要無くなってきている気がします。
学校も実際には転校出来ますし、勉強だけで言えば家で学習することも出来るようになっています。
所詮悪い噂が一時的に立っても、他人は直ぐ忘れるものですし、それで仕事が全く無くなるということもありません。
スキルさえあれば、顔や名前を出さなくてもPC一台で仕事が出来るようになっています。

こう思える様になったのは、単純に歳をとったというのも有るでしょう。
地元を離れて一人暮らしを始め、親や親戚に会うのも年に数回になりました。
地元の友人はSNSでたまに見かける程度、どんなに仲の良い学生時代の友人だとしても年に数回会う程度です。

あんなに周りを気にして生きてきたのに、今思えば本当に馬鹿馬鹿しい程、自分に嘘をついてきたなって思います。
自分を傷付けたり、ノケモノにされないように。
勿論、それはそれでその当時の最適解だった可能性は否めませんが。

こうやって都内で一人で生きていると、周りの目なんて幻想だったんだなと改めて感じます。
幻想と言うか、周りの目を気にしている、自分自身の目だったのです。
正直誰もお前に興味なんて無いよ状態です。
むしろ興味持って批判とかしてくれるくらいの方がありがたいのかもしれません。

そんな訳で、所詮自分の人生な訳で、自分にもっと正直に生きようと思いましたとさ。

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