死ぬ権利について

人生観

センセーショナルなニュースが目に入ってきました。
医師2人が依頼を受けて、安楽死のために薬物の投与を行ったそうです。
今回の場合、医師がお金を受け取っていた。また、「高齢者は社会の負担」という思想を持っていたということが報道されています。
そう言った偏った部分もありますが、安楽死、尊厳死というものは、この超高齢化社会では考えないといけないことです。

なかなか議論が進まない利用として、政治家としてもあまり票になりづらいというのがあるでしょう。
また、誰しも死ということは、あまり考えたくないものです。
しかし、不慮の事故で明日、植物人間になる可能性もあるわけで、人類誰しも「死」は避けられない問題なのです。

現代の医療では、取り敢えず長生きすることが良しとされています。
しかし、痛みや苦痛に耐えながら長生きすることは幸せなのか、はたまた幸せとは何なのか。
我々は自由で平等で生きる権利が誰しもあると何時からか思うようになりましたが、死ぬ権利はどうなっているのでしょうか。

ICU(集中治療室)で働く看護師の友人から、ちらっと話を聞いたことがあります。
そこに連れて来られる時点でチューブだらけで結構追い込まれている人が多いという前提がまずあります。
それでも回復の見込みを持って、皆治療を行うのです。
しかし、急に脈拍が弱くなり、心肺蘇生を行わなくてはいけなくなることがあるそうです。

最早喋れない、意識も無い、そんな老人の肋骨をボキボキに折りながら、人工マッサージを行うそうです。
家族は言います。何とかしてくださいと。
しかし、措置をされている本人は、何とか生命があるという定義の中にはいるものの、苦痛の表情を浮かべ、死の淵を彷徨います。
苦しいから蘇生措置は辞めてくださいと本人は言えません。そんな体力も生命力ももう残って無いのです。
家族は最後の望みを掛けて、蘇生措置をお願いします。お願いしないと、死んだことになってしまうから。。

我々人類は、出来る限り死を遠ざけて来ました。
人が生まれるのも死ぬのも病院。
道端に死体が転がっているなんてことは、まずありません。
その結果、皆一様に向かっているゴール、「死」を忘れることに成功しました。
ところが問題は覆い隠して避ける程、大きく膨らんで来るものでもあります。

生きるとは。
死ぬとは。

よく生きるとは。
よく死ぬとは。

改めて考え直さないといけないようです。

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