人の不幸で飯を食って悪いか問題【罪悪感】

人生観

世の中には沢山の仕事があります。
現代には株式会社という仕組みがあり、そこで従業員として働くというのが、一般的な「仕事をする」という概念だったりします。

そもそも株式会社は「東インド会社」が起源です。
香辛料を求めた裕福なヨーロッパ人が、船を出して新規開拓してくれる人たちに複数人で出資したのです。
その株式会社は経済的な取引だけではなく、武力的な面(強奪、収奪)も持ち合わせていたと言います。

そこから時代が進み、現在の株式会社の意義は「利潤の最大化」です。
どれだけ社長がキレイゴトを言おうとも、稼いでナンボな世界です。
そこを勘違いしている人が多数いますが、株主からしたら稼がない人が会社にいたら出資したく無くなるでしょう。

ただ、そこで問題が出ます。
事業を進めると人が不幸になったり、人の不幸で成り立つ商売が出てくるからです。
例えば私の父は地質関連会社で仕事をしていますが、東日本大震災のときは会社の株が爆上がりしました。
今もコロナで色んな人が苦しみながら生活していますが、wifi、マスク、ゲームなど需要が伸びている会社もあります。
実際に私が今書いているこのブログも、特に健康関連の記事が伸び、アドセンス収入やアフィリエイト収入が増えています。

ここで思ったのは、もはや善とか悪とかそういう2元論では世の中を見ることが出来ないなということです。
世の中はもっと複雑で絡み合い、何処かが上がれば何処かが下がりと、全てが繋がりあい、何処かで少しずつ関わっているのです。
例えばあなたが買ったコーヒーはアフリカの貧しい子どもをこき使って収穫したコーヒー豆から出来ているかもしれません。
例えば不必要な薬を社会にばらまいている様に見える製薬会社の株主の多くは年金で、実は我々の祖父母の貯金が原資であるかもしれません。
例えば社会に害悪に見える情報を垂れ流しているメディアも、政府の横暴を止める防波堤になっているかもしれません。
例えば全く無能に見える政治家も、投票したのは私達ですし、投票していなければ語る権利さえありません。

この歳になって思うのは、絶対的な物事なんてなく、常に相対的な雰囲気の中で、世の中が進んでいくなということです。
だから人の不幸とか、罪悪感とか気になりますが、社会通念とかも意識はしつつも、自分の正義を貫いて生きることも大事だなと思うのです。

誰のせいにするのではなく自分と向き合い、自分が変化させることが出来る範囲で生きていこうと思いました。

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