正義とは何か

雑記

正義と悪、善と悪、道徳とか倫理観ってあまりにも相対的なものだと思います。
何故なら各個人が生まれ育った家庭や学校、メディアや国、時代背景などから影響を受け、作り上げられた価値観でしかないからです。
そのため、正義と正義がぶつかり合うことは良くあります。

例えば悪の権化であるダース・ベイダー卿は、帝国軍の司令官です。一方で正義は銀河共和国です。
これはつまり、アメリカ(共和国、正義)の敵は、日本(帝国、悪)であるということです。
甲冑を着てライトセイバー(刀)を振り回すのは正しく日本人でしょう。
しかし、戦時中の日本人にとって鬼畜米英は悪であり、日本人こそが正義だったことは言うまでもありません。
そして時代が変われば日米同盟を組み、また新しい敵と戦っています。

国対国でも個人間でも、争いごとが起こるときは、どちらも自分が正義で絶対に正しいと思っています。
そして、そのイザコザに決着を着けるために、ルールがあります。
日本は法治国家であり、裁判を受ける権利(日本国憲法第32条)があります。
しかし、白黒を付ける法律でさえも、相対的なものでしかありません。
お金がない人は国選弁護人しか選べないのに対し、お金があれば優秀な弁護士を選び、量刑を軽くしたり、訴訟に勝ちやすくすることが出来ます。
そうなると、お金持ちは正義で、貧乏人は悪ということになってしまうかもしれません。
果たして人を轢き殺しても捕まらない上級国民は正義なのでしょうか。それとも、国のために働き、沢山税金を収めていた人なのであれば、罪は軽減されるのでしょうか。

例えば、アメリカと中国が貿易戦争を繰り広げていますが、どちらが正義なんでしょうか。
国際間のルールには条約や国際法がありますが、実際には経済力や軍事力が強い方の意見が通ります。
日本人が快適な暮らしを享受出来ているのは、第二次世界大戦での敗戦国ながらも、経済力と軍事力を保持しているからに他なりません。
そうなると、やはり金と力こそが正義なんでしょうか。
勝てば官軍、負ければ賊軍なんでしょうか。

私個人の考えとしては、トラブルが起こる場合には、大体どちらも何かしらの問題を抱えているものと考えるようにしています。
交通事故での過失割合が滅多なことで10:0にならないように、どちらも問題があったと考えるのが自然です。
そうして客観的、俯瞰的に問題点を探り、妥協点を探り解決を図るしかありません。

私は大学で渋沢栄一について研究していましたが、彼は道徳経済合一説を唱えていました。
最近オリラジの中田さんがYoutube大学で渋沢の著書『論語と算盤』を取り上げていたので、是非見てほしいです。

中田敦彦史上No.1書籍!渋沢栄一「論語と算盤」〜日本資本主義の父が語る成功哲学〜①

私にとってもバイブルになっているのですが、人生に関する学びが沢山あります。
そしてその中で言われている一つは、まずは勝ち、そして皆に分配せよということです。また、悪い方法で稼ぐなら、貧乏のままでも良いとも言っています。
勿論その悪い方法というのも相対的なもので、人によって捉え方が変わってくるので、一概には言えません。(実際に渋沢の言う道徳的とは何かが曖昧ではないかと批判的な立場で書かれている先行研究もあります。)

また、渋沢が創業した第一国立銀行(今のみずほ銀行)は草創期に経営難になりましたが、朝鮮支店での利益を注入して難局を乗り越えています。日本の資本主義を潰さないという正義のために、朝鮮そのものの主権を軽視した考えについては批判的な意見もあります。(長生きしたので好好爺な画像が出回っているが、若い頃はゴリゴリのビジネスマンだったのは言うまでもない。)

おそらく人生は色んなことがあるので、そのフェーズによって、自分の中の正義というものは変わってきます。
だからこそ、短期的、長期的に自分の幸福度を最大化することを、各々が目指すことが正義なんだと思います。
周りがとやかく言おうが、何されようが、私は私の幸福度の最大化の実現を図る。
それが正義だと私は思います。

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